もっと光をあびたい

旧約聖書創世記に登場するサラという女性は、大変見目麗しい方だったようです。70歳を過ぎてなお見初められてしまう。その危険を感じて旦那様のアブラハムは、サラに妹だと証言させました。妻だなんて言ったら夫の自分は殺されるんじゃないかと思ったとのこと。夫を殺しても奪いたいと思わせる危険を持った美しさ・・・。多分女性が幸せのために望むことの一つは美しさ。しかしそれを持ってたサラは、十分に幸せとはいかなかった。子供が生まれないという事実に追い詰められてた。子供を産むというのもまた、女性の幸せの一つ。・・・なんとなくですが、子供を産めないということは、女性の機能が危ういと思ったり役割を果たせないと思ったりするのかな・・・女性としてのアイデンティティを脅かして来るのかもしれない。いえ、本当のところはわかりません。結婚にまだ望みを抱いている私ですが、流石に出産までは望めないなと思っている。私の場合はチャンスがなかったので・・・諦めがつきやすいのかもしれませんね。・・・さて私はなにを考えてたんだろう。そう、自分の性に関する意識も、光に照らして癒される必要がある、そういう部分があるんだなと思ったわけです。最近自分で今までは意識できなかった分野に光があたりつつあるなあ。感謝してもっと光を浴びたいと思います。

Hiromi Oowada

大和田広美オフィシャルホームページ

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