乞うご期待
わたしにはいくつかアレルギーのある言葉がある。
1・ 「しなければならない」・・・ すごく責められてる気がする。やってないよね?君。そんな力私にはないんだって😵
2・ ビジョン・・・ いつ以来持ってないんだろう・・・願い以上のものはこの人生ほとんど持ってなかったんじゃないかな😵
このあいだの礼拝で「まずビジョンを描くこと。細部にいたるまで。」ということが語られた。ともの一人が、「私はその日からやってるんだ。これをすればよかったんだって気づいて、ほんとうに感謝!!」と話してくれた。私はこう答えた。「すばらしいね!!でも私はビジョンにアレルギーがあってね。全然描けないんだよね。」彼女は続けた。「神様が与えてくれるよ。ビジョンをください。そう祈ったらどうかなあ?」私は頑なにこう言った。「それもやりたくないんだよね。ビジョンが描けない人がいたっていいじゃない?」・・・ちょっとやり込めちゃったかな😵・・・なんでなんだろ・・・友のいうことは全くその通り。いいに決まってる。なのにやりたくない。なんでここにとどまっていたいんだろう・・・?
これが水曜日の会話。
木曜日の朝読んだ聖書の言葉で心に留まったのがこの言葉。
"「子を産まない不妊の女よ、喜び歌え。産みの苦しみを知らない女よ、喜び叫べ。夫に捨てられた女の子どもは、夫のある女の子どもよりも多いからだ。──主は言われる──
あなたの天幕の場所を広げ、住まいの幕を惜しみなく張り、綱を長くし、杭を強固にせよ。"
イザヤ書 54章1~2節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会私は夫に捨てられたわけではないが生みの苦しみは知らない。女性としては経験しておきたかったことでもある・・・でもそんな女性に神様は語りかける・・・。そして約束をした。
そして今日心に留まったのがこれ。
"主に連なる異国の民は言ってはならない。「主はきっと、私をその民から切り離される」と。宦官も言ってはならない。「ああ、私は枯れ木だ」と。
なぜなら、主がこう言われるからだ。「わたしの安息日を守り、わたしの喜ぶことを選び、わたしの契約を堅く保つ宦官たちには、
わたしの家、わたしの城壁の内で、息子、娘にもまさる記念の名を与え、絶えることのない永遠の名を与える。
また、主に連なって主に仕え、主の名を愛して、そのしもべとなった異国の民が、みな安息日を守ってこれを汚さず、わたしの契約を堅く保つなら、"
イザヤ書 56章3~6節
聖書 新改訳2017©2017新日本聖書刊行会
これまた私が言いそうなセリフが先に来る。そしてその後に神様からの祝福の約束が来る。そしてじぶんの心に思い当たる。せっかく与えられてる祝福があるのに、それを受け取ろうとしない。なんなんだろ。このひねくれた感じ・・・。どうもこういう生き方を繰り返して来てたみたい。神様は3日続けてこのこころの構造を見せてくださった。・・・新しくなれるだろうか・・・私。なんとか・・・新しくなれるだろうか・・・ていうかその方が嬉しいし、神様も喜んでくださるよね・・・続きを乞うご期待!!
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