聴いております
黙想の時、今とっても必要なことだと思う。主の前に出ることが今とっても必要なんだと思っている。
私は中学3年の秋にイエスキリストの福音を聴きました。友達と一緒に。死ぬのが怖くて、最後その死で終わる人生の意味が分からなくて虚しさと恐怖がひびあったように思います。でもここに「死んでも生きる」という世界があることをあの時教えてもらったんです。とっても嬉しかったなあ。そしてすぐに祈りのすごさと、祈りを親しくきいてくださる神様を体験させてもらったのでした。友達のお兄さんが危篤という事態になり、必死にみんなで祈ったんです。その時彼のいのちはまもられました。神様は遠くにいる方じゃない。私の声をきいてくださる方なんだ。私に声を聞かせてくださる方なんだ。そこから私たちはしょっちゅう集まっては祈ったり賛美したり預言を求めたりしていたのです。なんとかして一人でも神様の愛を知り、永遠のいのちを受け取ってほしいと願って。ああ、あの時と同じように主は私の声に耳を傾けてくださり、私にみ声を聞かせてくださる。主よお語りください。しもべはきいております。後にイスラエルを導くサムウエルは、最初の主からの語り掛けを聞いた時、「まだ主を知らなかった」そうです。祈りによって生まれた証の子であり、3歳からずっと神の宮に寝起きし、毎日祭祀を手伝っていた彼は、主を知らなかった。ああ、私もなおまだ主を知らないのだろうか、、、。でも今日もう1ど告白します。「主よお語りください。しもべは聴いております。」
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