天気のいい寒い日に徒然
勤労感謝の日、午前中久々に「セミナー?」に参加しました。勉強が苦手な私・・・覚えるだけなら得意だったけど理解してそれを身にして行くのができなくて、その繰り返しをしているうちに、勉強する意味を感じなくなってた。そう、なぜ勉強する気にならないかと言うと、その結果があまり出なかった過去があるからなんだろうなとおもった。学ぶことそのものが好きならそれでもやるんだろうけど。
今日学んでみて気づいたことは、気づかないうちに私の中に染み付いてしまってる生き方があって、それが聖書の価値観と違い、キリストのいのちとはかけ離れてるということがたくさんあるということ。キリスト教の儀式や行いを実践していても、キリスト教を生きてはいない。また・・・ぎくっとしつつ、やっぱりこれが私の現状だよね・・・と思い知らされる。今の時代は「難しいことは考えたくないという風潮がある」らしいです。納得。私は最近そう言う心の流れになってるなと思うのです。
つらつらと書きましたがすばらしいセミナーでした。
一番「おっ」と思った言葉はこれ。
「社会的福音のない個人的福音は、体のない魂のよう。個人的な福音のない社会的福音は魂のない体のよう。一つは幽霊で一つは死体である。」(みたいな感じです。ちゃんとした言葉はかききれませんでした。)
個人としてキリストを信じて神の家族の一員となることは絶対に必要で、社会的な責任を果たすことも絶対に必要だってことだそうです。さて、私は社会的な責任を負っているだろうか・・・。難しいことも考えなきゃね。もちろん私が一番しなきゃいけないことかどうかはわかんないんだけど、でも全くやらないのはどうも違うらしい。すれ違うこともたくさんあるし、理解し合う前に誤解しちゃうこともある。それでも、心を開いたり、相手を思いやったり、筋を通したり、率直に話したり、あえて何も言わなかったり一生懸命祈りながら進んで行くんだなあ。
どんな評価を受けるかよりも、どんな結果を得るのかよりも、今示されている神の道に生きること、それが大切な時がある。過去も未来も大切だけど、今をもっとしっかり受け止めなきゃな・・・。
うー、ほんとに徒然ですな。いい天気の1日にそんなことかんがえました。
今日一番食べたのはナッツでした✌︎後から読み返した時に、結局何したかが、私の文章はわかんないので、具体的なことも書いておこうかな(笑い)t君がくれたプリンも食べました。って食べたもののことだけか(笑い)
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