この1週間

ある本の目次に見つけた。「計算しながら祈っている」・・・まさに。私はそういうタイプの人間だ。その本文には創世記のヤコブの姿が書いてあった。彼は神の言葉に従って故郷への道を辿り始めた。服従し始めた。だけど信頼はしていなかった。彼は主への服従の道をなんとかして自分で歩もうとしていた。だから兄エサウに出会わなければならない時に恐れたしそこでも自分で逃げ道を用意したんだ。神に従って前進しようと決めてはいるけど、それに失敗した時の逃げ道を自分で用意していたんだ。この道に導いた神の言葉に従いつつ、この神の愛には信頼しきれない。祈りはする。頼りにしてないわけでもない。だけど完全には頼りにしてない。これがヤコブだった。「あるある!!これ私だ
!!」私はたった今それをしようとしていた。ていうかやってた。待てなかったんだ。神様に成し遂げてもらうのを。だから自分でやらなきゃって思って・・・。おっとこれはサウルさんもやてたあれだ。だから、違うんだって。神のためのことは神がなさる。私はまずそれに完全に任せる。委ねる。明け渡す。はい!!
 その前にぐるぐる考えてたのは、その神様とつながって生きる日々のことを考えてた時に、私はすぐ「あの人はこういう感じ。あちらの人はああいう感じ。どれが一番いいんだろう。」でもね、神様はいろんなタイプの人をつくってご自身の無限の恵みと栄光を表そうとしておられる。てことは、3社3用、十人十色、の神と生きるいのちなんだよね。神が私を見出され、私は神に捧げる。その織りなすいのちは他の命とアンサンブルして美しくダイナミックなオーケストラになる。甘美なコース料理になる。・・・その麗しさに満ちた世界の中に入れられるという祝福・・・導き入れてくださる主の御手に落ちいい履たい。後ろを振り返らず前を向いて走る・・・。静まれ、我が魂。そんなこの1週間です。

Hiromi Oowada

大和田広美オフィシャルホームページ

0コメント

  • 1000 / 1000