神が人となった
神が人となった。今日その真理のほんの一部を感じた。私はこのところ、疲れていたからか、目が見える人たちの中で過ごすのにいろいろ不満があった。みんな優しい。すごく理解しようとしてくれてる。。なのに、たぶんいつもと変わらないのに、疲れがあるからか、勢いでそういうことを乗り越えられない。私の不満はどうも、「なんで私が合わせないといけないの?」だと思った。私が合わせられるようにデータを送ってくれる。私が合わせられるように、うつしだされたものを説明してくれる。ありがたいのに、モヤモヤが残ってる。一体なんなんだ・・・。イエス様にもっと深く出会いたいと望んで参加したデイキャンプで、合間にちょいちょい考えてた。そしたら急にわかった。私が「みんなに合わせてる」ことに不満があったんだ。いろいろしてもらってるありがたいことが、「みんな」に「「私」が合わせるためのことだって思うと、なんだかそのサービスのありがたさが半減してしまってた。だれも「私に合わせてれる」わけではない。そこに・・・どうもそこに不満があった。そしたらピカッときた。イエス様は人となられた。神のままで救いを「与えた」のとは違ったんだ。私に合わせてくれた。そうか。だからパウロは言ったんだ。「ユダヤ人にはユダヤ人のように」。ああ、もうすこし説明できるようになりたい。その真理の一部をもうすこし知りたいと思った。
そして今、一つのエピソードを思い出す。大学生の時だった。みんな授業に間に合うように走っていた。何か事情があったんだろうな。電車が遅れてたとか。とにかくみんな走ってた。でも私は歩いてた。そしたら1人の友達が声をかけてくれた。「一緒に行こう。」彼女は私と歩いた。「いいの?」と質問する私に、「私足が痛いから。」と彼女は答えたんだ。めがみえる人ばかりの中で過ごし始めたあの頃の、忘れられない一コマ。
神であることを捨てて人となられた。目が見える人たちの世界に適応して生きるためにじゃなくて、私が生かされるために、イエス様は愛を注いでくれてる。明日も続くこのキャンプで、もっとイエス様に出会いたいと願っている。
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