的外れだけど宝物を探せるように変わりたい

最近よく考える。自分、かなり的外れなんだろうなって。例えば、子供たち。神様はこの子をどう見ておられるんだろう。1秒もじっとしてられなくて、話を聞けない子に、私が向き合う時には、どうしたらじっと話を聞けるようになるだろうって考えてる。でも神様は違うんじゃないかな。もっとこの子が輝くには?そのための鍵は?この子の中にある宝物は?「愛は、、、全てを我慢し全てを信じ、全てを期待し、全てを耐え忍びます。」私は大概忍耐しきれない。ああ、目先の、私がやりやすいことに持っていくんじゃなく、宝物を探して、輝きにたどり着けたらいいと思う。そのために私がするべきことに取り組めたらいいと思う。新しい目が必要です、私の中に。
そして、もう一つ。切りはりされたらかなり誤解を生みそうで怖いんですが。災害とか病気とか、悲しいことや辛いことが起こるとき、(神様はそのこと自体は傷んでおられると思うんですよ)、その中で、私たちは本当に価値あるもの、大切なものに気づかなきゃいけないんじゃないかって思うのです。というか私たちのずれてしまった価値観とかをぶち壊して大切で大切なものに目が開かれるようにって、神様は共にいてくださるんじゃないかなあ。このこと、何度も心に浮きあがるのに、私はすぐ忘れてしまうのです。だから、書かせていただきました。

Hiromi Oowada

大和田広美オフィシャルホームページ

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