変な言い方だけど、間違えても、それでも、愛することを選べるのか
去年の夏、甲子園では親善試合が行われた。彼らはどんな気持ちで甲子園の土を踏んだんだろう。春の選抜の参加校だった彼らは、確かにそこにいく権利を勝ち取っていた。それを1ど失って、再び得た。ちょっと違うパターンで。同じであることが全てではない。残念だけど、判断なんていくらでも間違える。絶対の正しさも、絶対の愛も、私たちの中だけでは生み出せない。しかし主は私たちの間に住んでくださる。今子供達と分かち合いたいことは何か。時間と労力をかけて、分かち合うべきことは何か。私たちが先輩たちから今確かに受け継ぐべきことは何か。神は一人子をお与えになったほどに私たちを愛してくださった。そして一人子は私たちのいのちを贖うために、十字架にかかってくださった。そして言われる。「わたしがあなた方を愛したように、あなた方も互いに愛し合いなさい。」愛するために私を用いてください。大切な子供達のために、そしてその子供たちに想いを寄せて時間と力を捧げている人々のために。
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